どこかのだれかの

末っ子です

「あばよ」って柳沢慎吾の造語じゃなかったんだ

今に始まったことではないが、私の”思い出”や”共感””共有”への無頓着さは学生時代から呆れられていて、最近は特に友人からの評価が地に堕ちてその下降速度が目にも止まらない次元に入ってきた。そばにいるというだけで許されてきたものが大きかったのだなあと実感。離れた分は言葉を賭して埋めていくしかないのか。なにも色恋話苦労話共通の趣味の話でなくとも一緒に飲む酒食べたご飯がおいしいってことで充分じゃないのかな。と思う今日この頃。

とにもかくにも、自室の壁に向かって話しかけてる心づもりで日々の気づきやとりとめのない話をここに記録していこうかと。

 

 

過去の自分の改めてみてなんか好きだったつぶやき救済

窓際に置かれたあの筆箱は、男子中学生がよく持っている黒地に白のアディダス特有のスリーラインが入ったあの筆箱は、どこからやってきてどこまで運ばれて行くのだろう。あの電車は終点門司港。(2012/09/04)